『東京名建築さんぽ』から学ぶ建築の魅力
普段、街を歩く中で何気なく目にしている建物。その設計には、建築家の考え方だけでなく、時代や社会の空気も反映されているのをご存知でしょうか。
西洋風の凝った建築が好まれていた時代もあれば、シンプルなデザインながら魅力的な「空間」が設計されている建物もあり、歴史的な背景も踏まえながら建築を見ていくと、デザインの理由に新たな発見があるかもしれません。
そんな建築の奥深さについて、10月に『東京名建築さんぽ』(エクスナレッジ)を上梓した建築学部 建築デザイン学科の大内田史郎教授にインタビューを行いました。書籍に取り上げた建物を例に挙げながら、建築の見方や魅力、建築の価値に対する考え方などを詳しくお話いただきました。
書籍『東京名建築さんぽ』が生まれたわけ
——『東京名建築さんぽ』の出版、おめでとうございます。あらためて、東京都内ならびに関東圏にある“名建築”を書籍にまとめようと思った経緯を教えてください。
大内田:私は普段、大学で授業や研究を行うのと並行して、「DOCOMOMO(ドコモモ、The Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)」という国際組織で近代建築の保存・活用を推進する活動を行っています。
その中で感じたのは、建築の魅力が世の中にまだあまり知られていないということでした。建築の持つ価値や魅力を、より多くの方に知っていただくきっかけをつくれたら。そんな想いから、書籍の制作がスタートしたのです。
10月に出版した『東京名建築さんぽ』は、2019年8月に出版した『東京建築遺産さんぽ』の増補改訂版です。以前出版した書籍の内容を更新し、前回よりも幅広い建物を追加して掲載しています。
——具体的にどのような建物を紹介しているのですか?
大内田:明治期から戦後昭和期まで、さまざまな時代の建築を取り上げました。この期間に完成した建物は全国に多数存在していますが、その中でも「歴史(ヒストリー)」「意匠(デザイン)」「技術(テクノロジー)」の3つの観点から選定して掲載しています。
私の専門は戦後のモダニズム建築なので、本来であればそのような建築を書籍内にたっぷりと掲載したいところです。
しかしモダニズム建築は、鉄骨やコンクリート、ガラスといった素材を用い、合理性や機能性を重視したシンプルなデザインでつくられたものも多いため、専門家以外の方にはその魅力が伝わりづらいことがあります。
今回の書籍の目的は建物の価値や魅力を広く知っていただくことにありますから、より多くの読者に手に取っていただけるよう、幅広い時代につくられた多様なデザインの建築を掲載することにしました。
——「名建築」というと、日本銀行本店本館や銀座ライオンビルのような歴史の古い戦前の建物を思い浮かべます。戦後の建物も掲載されていますね。
大内田:新しい時代の建築も、いずれは古くなります。今見ても価値のある建物は、きっとこの先、時間を重ねるにつれてさらに評価されていくことでしょう。
比較的新しい建物の文化的な価値や魅力を現時点で評価することによって、将来的な評価と建物の保存・活用に結び付けていきたい。そのような想いから、今回は戦後昭和期の建物も掲載しています。
新旧さまざまな時代の建物を織り交ぜて編さんしたのはユニークな点です。そういった意味でも、今回の書籍には一定の価値があるだろうと考えています。
歴史と価値のある建物を使い続けていく
——先生は、東京駅丸の内駅舎の保存・復原にも携わってこられました。その経験も、今回の書籍制作に影響しているのでしょうか。
大内田:そうですね。東京駅の仕事に携わってきたことは、今回の書籍を制作する上で非常に大きな影響があったと思います。というのも、東京駅はただ保存して復原するだけでなく、古い建物をいかに活用するかということについてもたくさんの議論を重ねてきました。
価値のある建物を使い続けていく。東京駅丸の内駅舎の保存・復原プロジェクトの経験は、書籍に掲載する建物を選定する上でも、私の判断基準のベースとなったように思います。
——掲載された建物は、現役で使われているものがほとんどですね。ちなみに、書籍の中で特に注目してほしい建物はありますか?
大内田:東京・港区白金台にある旧公衆衛生院ですね。1938年に建てられたこの建物は、公衆衛生の向上・改善に資する研究施設として使われていたもので、現在は港区立郷土歴史館として活用されています。東京大学の安田講堂などを手がけ、「内田ゴシック」という独自の建築デザイン様式を確立させた内田祥三が設計を担当しました。
この建物は、もともとあったインテリアを活かしながら、細部をしっかり修復して資料館として活用しています。白金台の一等地で今もなお活用されているという点は本当に素晴らしいことだと思います。
他にも、全日本海員組合本部会館については、建物が未来へと紡いでいくストーリーに注目していただけると、より興味深いのではないかと思います。
この会館は1964年の竣工で、書籍の中では最も新しい建物です。これくらいの年代に完成した一等地にある建物は、築60年以上が経過した現在、建て替えや再開発のために壊されてしまうことも多いのですが、全日本海員組合会館は改修工事が行われ、今後も活用されることになっています。
工事が終わった後にどのような姿になり、どう活用されていくのか、私も非常に興味を持っています。
時代によって変わる設計思想にも着目してほしい
——デザインだけでなく、「活用」という観点から建物を見ることもできるのですね。
大内田:そうですね。あとは「建設当時の思想」に注目するのも、建物や日本の歴史を深く理解するきっかけになって面白いですよ。
例えば、1959年完成の大多喜町役場中庁舎。打ち放しのコンクリートと細部のデザインが調和した独特な雰囲気が見どころの建物で、外観や内部のデザインを見ていると、戦後のモダニズム建築ならではの「空間づくり」が意識された設計を実感できます。
建築の価値の中には、そうした時代背景や文化的な背景も包含されると考えています。“名建築”というと、多くの方は著名な建築家が設計した建物を思い浮かべるかもしれないのですが、作家性によらない価値を有する建築も当然評価されるべきだと思うのです。
多くの人に建築の魅力を知ってもらいたい
——書籍に掲載された建物の中で、工学院大学にゆかりの深いものはありますか?
大内田:旧多摩聖蹟記念館を手がけた蔵田周忠は、工学院大学の前身である工手学校の出身ですね。また、東京駅丸の内駅舎は、本学の創立を支えた辰野金吾が設計をしています。
実は、東京駅の設計には、辰野金吾だけでなく、松本與作という工手学校の卒業生も携わっていたんですよ。この方の功績も非常に大きいものがあり、私自身も松本與作には注目しています。今後機会があれば、どこかで取り上げられたらいいなと考えています。
——今後の構想や展望を教えてください。
大内田:今後も機会があればぜひ、今回のような書籍をまとめることができたらと考えています。建物は生き物のように変化しますから、5年くらいに一度は書籍の内容を改訂・更新することができたら嬉しいですね。そのためにも、引き続き日々の活動の中でアンテナを張り、“名建築”に関する知見を蓄えておきたいです。
そして、書籍の出版やDOCOMOMOでの活動を通じて、より多くの方に建築の価値を再発見し、その活用を考えていただくきっかけをつくっていければと思っています。
——大内田先生へのインタビューを通じて、姿かたちにとどまらない建物の楽しみ方を知ることができ、建築の奥深さを実感しました。
大内田:建物には、時代や社会の様相が映し出されます。だからこそ、その建物がどのような歴史を辿ってきたのかを調べてみるとすごくおもしろいのです。
西洋建築史や日本建築史に比べて近代建築の歴史は浅いですから、これから建築を学ぼうとしている方も親しみやすいはずです。建築手法やデザインだけでなく、「歴史」という観点からもぜひ建築を見てみていただけたら、新しい発見があるのではないでしょうか。
書籍情報
『東京名建築さんぽ』(エクスナレッジ)
著:大内田史郎、写真:傍島利浩