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100年前の建て築きを次世代へ 岩手銀行赤レンガ館の復原改修工事 #Action

世界有数のメディアであるニューヨーク・タイムズ紙が「2023年に行くべき52か所」を発表しました。英・ロンドンに続いて2番目に岩手県盛岡市が紹介されました。掲載以降、国内外から多くの観光客が訪れ、世界中から注目を集めています。 

わんこそばなどの食文化、そして大正・明治期に建てられた歴史的建造物と自然が織りなす景観が、盛岡の魅力として様々なメディアで取り上げられています。

辰野金吾と工学院大学

盛岡の地でランドマークとして愛されているのが、赤レンガに白い石を巡らせるデザインが特徴的な岩手銀行赤レンガ館です。明治時代に建設され重要文化財に指定されているこの建物は、近代日本を代表する建築家 辰野金吾が設計しました。

辰野金吾と工学院大学はつながりが深く、辰野は工学院大学の前身・工手学校の創設に尽力した人物です。さらに、辰野が設計した西洋建築の建設現場では、彼の薫陶を受けた工手学校卒業生たちが工事の監理や現場指揮で活躍しました。
そして 100年の時を超えて、この岩手銀行赤レンガ館の復原改修工事に建築学科 田村研究室が携わりました。当時の声に耳を傾け、日本の近代建築を次世代へとつなぎます。

まずはこちらの映像をご覧ください!

東日本大震災で漆喰天井に亀裂

2011年に東日本大震災が発生。岩手銀行赤レンガ館に甚大な被害はありませんでしたが、一部で損傷が見つかりました。地震による被害のなかった外部の修復は最小限にとどめ、後世の増改築によって変わった姿を創建時に戻す方針で、翌年2012年に復原改修工事がスタートしました。

震災による被害の一つが、漆喰天井のひび割れです。天井高が約9メートルある吹き抜け空間は、経年劣化と東日本大震災による亀裂で、天井が剥落する危険性が高まっていました。

当初は天井を塗りなおす案も検討されましたが、漆喰自体にも歴史的価値があるため、漆喰天井の外観には手を付けず、天井裏からの作業のみで強度を高める建築学科 田村研究室の技術が採用されました。

この天井の工法は「木摺り漆喰」といいます。等間隔に並べられた短冊状の木材の隙間に漆喰を塗り、木材の間に食い込んだ部分が引掛りとなり、漆喰全体を支えます。
しかし、雨漏りや老朽化、震災による被害で、この引掛り部分の強度が弱まり、いつ剥落してもおかしくない状態になっていました。

漆喰を支えてきた引掛り部分の強度が、破断や抜けにより弱まってきた

田村研究室では、現地の天井と同じ作りの試験体を製作し、「木摺り漆喰」の強度を調査。さらに現地の寸法をできる限り正確に採寸し、実物に近い大きなモックアップを作成して実験室でデモンストレーションを行うことで、強度の検証や修繕の段取りを進めていきました。

田村研究室は、木摺りの中に穴をあけ、特殊アクリルの接着剤を注入することで、木摺りと漆喰の接着部分の強度を高める技術を開発。
補修工事では、天井裏に足場を作るところから始め、木摺り一つ一つに天井裏側から穴をあけて、接着剤を注入する作業を行いました。

この技術により、漆喰天井の美しい外観をそのまま残し、強度を大幅に高めることができました。

補修工事後の吹き抜け空間の天井

岩手銀行の歴史

赤レンガ館は1911年に盛岡銀行本店として竣工。設計には東京駅の設計者として知られる辰野金吾と、その教え子で盛岡出身の葛西萬司があたりました。1936年に岩手殖産銀行(後に岩手銀行に称号変更)が買受、同行の本店となりました。

日本近代建築の父 辰野金吾

昭和初期には、この特徴的な赤レンガの外壁が真っ白に塗られていました。現在は竣工当時の外観に復元されていますが、壁の一部は白く塗られたまま残しており、赤レンガ館が歩んできた歴史を物語っています。

1994年には現役の銀行として初めて国の重要文化財に指定されました。東日本大震災を経て翌年2012年に営業を終了し、明治時代から地域経済を支え続けてきた銀行としての役割に幕を閉じました。
営業終了後、2011年に東日本大震災で被害を受けた箇所の補強や修繕を行い、さらに竣工当時の姿をできる限り残し補強を行う復原工事がスタートしました。
竣工当時のレンガを大切に守り再利用するなど、文化的価値を損なうことなく、建物を当時の姿によみがえらせました。

竣工当時のレンガを再利用
釘1本から当時の技術がみえてくる

約4年間に及ぶ復原工事が完了し、2016年には公開施設としてリニューアルオープンされました。銀行としての役割を終えた今は、イベント会場、コンサート会場などに利用され、地域住民や盛岡を訪れる観光客に親しまれています。

100年前の建て築きを次世代へ

田村教授は、建築は「建て築き(たてきずき)」であると話します。「建てる」とは建物を作ること、そして「築く」とはその建物の歴史や使い方を長い時間をかけて利用者や地域住民が築いていくことを意味します。
今回の復原改修工事は、建築材料のプロとして「築く」プロセスに関わることだと、田村研究室では考えています。建設当時の想いを大切にしながら、利用者の声に耳を傾け、歴史的建造物をただ保存修復するだけでなく、地域住民に愛され続ける街のシンボルとして次の100年へとつなげます。

建築学科 田村 雅紀 教授

主な研究実施体制
・田村 雅紀 (工学院大学建築学科教授)
・岡健太郎(工学院大学建築学専攻・修士課程 田村研究室(当時)、職業能力開発大学校 助教(現在))
・後藤 治(工学院大学総合研究所教授、理事長)
・株式会社樹(代表:丸山紘明)

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